線路際で泣いていた、薄汚れた小さな白茶の子猫を見つけたのは、
クラオは、一度だけ家出をしました。
安楽死。という言葉が目の前を浮かびました。
獣医さんは、もう長くはないと言いました。
クラオの瞳が歪んだ三角に見えた朝、クラオの死は近い未来にあるという、
ゴロゴロと喉を鳴らさなくなって1ヶ月以上が過ぎました。
検査の結果、やはり、カリウムが上昇しているので
その日の夜7時40分、クラオは目を見開いたまま、
16歳だから、死んでも当然とか、
自分の都合で、飼っていた動物を捨てる人が居るようですが、
私の母は、悲しい思いをするから、
最後にA動物病院の院長先生、スタッフの皆様、
クラオ君よ!今頃、天国でゴロゴロと思いっきり喉を鳴らして、
約16年前でした。名前はクラオ。私といつも一緒でした。
わがままで、上手い餌しか食べない贅沢な猫でした。
10歳近くまでは、クラオは一匹飼いの猫だったのです。
ニャオンというバアサン猫が仲間入りしてから、
クラオの居心地が悪くなって来ました。
クラオは、人間の家族が大好きでしたが、猫は嫌いだったのです。
クラオはいつも自分が一番かわいがられていないと
気が済まないカワイイ猫でした。
飼い主の都合で、クラオは最高3匹の猫と同居する事になったのです。
クラオは、大好きな二階の部屋に入るのを止めるようになりました。
他の猫が威張っているからです。
先住者のクラオより、偉そうにしている猫に
いじめられるのを避ける為でした。
新しく来た黒猫のスミがかわいがられているのを見て、耐えかねたのでした。
一晩帰って来ないので、私は探し猫のポスターを貼りました。
ところが、貼っている最中にクラオの泣き声が聞こえてきたのです。
向かいの森の中に、クラオは動けなくなっていました。
お腹をこわしていたようなので、すぐに病院に連れて行きました。
私は反省しました。
猫は一番最初に来た順番にかわいがらないといけないのだと。
クラオを一番に考えるようにしました。
クラオは、毎年、冬になると、猫用の布団や電気座布団の上で寝ていました。
もちろん、石油ストーブの前での話しです。
クラオの主食の缶詰は小さくて、高価なものばかりでした。
お刺身など人間の食べ物も、時々貰っていたのです。
一番の猫のクラオが、不治の病におかされているのを知ったのは、
新しい年を迎えてすぐの事でした。
腎不全。
人間だと、人工透析という治療をして生きていけるそうです。
ところが、猫には、その治療法はコストがかかり過ぎて、
現実のものにはなっていませんでした。
腎臓が悪いと検査で判った時点で、
腎臓が7割以上破壊されていると聞きました。
クラオの場合は、末期だと獣医さんから言われました。
それは、動物愛護の観点から言うものでした。
しかし、クラオの目は具合が悪いから何とかして欲しいと、私に伝えていました。
不治の病の動物にお金と時間をかけるのならば、
安楽死をして、他の里親を必要をしている猫を飼うべきと、
頭の中にありました。
でも、私には出来ませんでした。
クラオは、生きる気力を私に訴えていたからです。
出来る治療も限られているとも言いました。
それならば、限られている治療をして欲しいと私は望みました。
腎臓が悪いと、尿毒症を起こし、脱水状態になってしまう為、
静脈点滴から治療は始められました。
午前中にクラオを病院に預け、夕方、引き取りに行きました。
万が一、病院で点滴の最中に死んでしまう事もあると言われましたが、
私は、クラオの生きる気力を信じる事にしたのです。
幸い、点滴をはじめると、クラオは食事をするようになったのです。
食べる事が出来るのに、治療を断念し放置しておく事はしたくなかったので、
私は毎日、点滴に通う事にしました。
電車で1時間弱の動物病院に通いました。
やがて、静脈点滴でなく皮下補液に代わり、その他の薬剤注射もして貰いました。
クラオの医療費は、かなり良心的な格安のものでしたが、
クラオの世話に時間がかかるからと仕事を休むと
生活出来なくなってしまうので、両立させました。
ところが、思わぬ障害が出て来たのです。
私は、某愛護団体のサイト管理を手伝っていました。
しかし、とても更新など出来る時間はありませんでした。
自分の保護した猫を最期まで面倒を見るのも、動物愛護の一つだと考えていたのですが、
その考えは簡単に打ち砕かれてしまいました。
懇意にしていた愛護団体の人からに、思いもよらぬ事を言われてしまいました。
「私の飼っていた犬も先月2匹死にました。
しかし、飼い主の手を患わせる事なく、
私が保護活動で手をかけられなかった1週間の間に死んでいました。
次に来る犬の場所を空けるように、天国に行ったのだと思います。
今、私の目の前には骨壷が二つ並んでいます。」
処分される動物の里親を探したりする活動は大変な事であるとは思うけれど、
そもそも、動物愛護団体が苦労しなければならない理由とは?
それは、いい加減に犬猫などを飼う人が居るからなのです。
お手本にならなければいけないのではありませんか?
捨て猫など、不幸な動物を引き取るのも大切な事ですが、質の高い飼育をするのも大切な事だと思います。
私は考えました。動物の為になる活動は、団体に入らなくても出来ると!
時間もありませんでしたので、私はキッパリ、この愛護団体とは縁を切る事に決めました。
毎日通院して、17日間が経ち、通院を減らして、
自宅でも皮下補液をする事になりました。
先が短いので、なるべく自宅に置いておいた方が
クラオに負担がかからないという獣医さんの配慮からでした。
医療関係の資格を一切持たない私は、クラオの背中に注射針を刺す事に、
恐怖を感じましたが、水分を補給しなければ死んでしまうので、
命がけで補液をしました。
不思議な事に、クラオは皮下補液をすると、毛皮がみずみずしくなって、
水を飲んだり、食事の量も段々と増えていったのです。
不治の病でなく、完治に向かっているのでは?と思えた程でした。
けれども、つかの間の気休めは長くは続きませんでした。
通院を始めて1ヶ月が経ち、獣医さんからも奇跡だと言われましたが、
血液検査の結果、カリウムという成分が上昇してきているので、
病状は進行していると告げられました。
脱水症状を改善する為に血が薄まったのもあり、
クラオは酷い貧血にもなっていました。
私は、クラオが病気になってから、
なるべくクラオの居る部屋でごろ寝するようにしていました。
足腰が弱ってきて、トイレに行っても帰って来れない事があったからです。
私の親が年老いて、寝たきりになってしまったら、
こうやって介護をするのだろうか?とか考えてしまいました。
クラオは、私の家族も同然だったからだと思います。
認めたくない予感が心を過ぎりました。
検査の予定の日2003年2月26日、クラオを連れて動物病院に向かいました。
クラオは、電車の中で騒ぐ人が多いと、うわんと小さく泣いたりました。
駅を降りて、病院まで歩く間、キャリーバッグの蓋から顔を出して、
外を見るのが好きだったのに、その日はうつむいたままでした。
心臓が止まる恐れもあると言われました。
もって今週一杯だとも・・・
痙攣をして息を引き取りました。
オシッコが出なくて苦しんで死ぬ事になるのなら、
いっそのこと安楽死をしなければならないと考え、
獣医さんに電話をしていた時でした。
結局、心臓が止まって死んでしまったようでした。
飼い猫の死に目に遭えないのは悲しいと思っていたけれど、
数分であっても、苦しんで死んでいく家族を見ているだけというのは、
自分の無力を感じ、辛いものでした。
まだ若いからかわいそうだとか関係ないと思います。
大切な家族ならば、何歳であっても、
一日でも長く生きていて欲しいのです。
そういう人は、自分の家族や愛する人も裏切れるのだと思います。
クラオは、苦しい病気になって、生きる気力を私に教えてくれました。
そして、通院の時に声をかけてくれた人達の暖かい言葉も忘れられません。
「あきらめてはいけない」
生きるって事は、あきらめてはいけない事のですよ。
何があっても・・・。
もう猫なんて飼うなって言いましたけど、
猫が居るから、人生も楽しいものだったと
思うのです。
クラオの亡骸をバスタオルで包む時、
そのうち、またかわいい猫になって、帰っておいで。
と頼んでおきました。
クラオの闘病にあたり、大変お世話になりました。
ありがとうございます。
不治の病であるクラオに対して、
前向きな治療をしていただきまして心より感謝しています。
ニャオンバアサンと今度は仲良く遊んでいるんだろうか?
するめ管理人
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